塾長コラム始まりました。この塾を経営してる人ってどんな人なの?というのが間接的に知ってもらえたら。そしてこの塾に興味を持っていただけたら幸いです。あとこのサイトで書かれるコラムは、中高生向けに書いてます。
本日のテーマは「嫌われる」。そういえば昔「嫌われる勇気」というベストセラーがありましたね。
いじめとか、嫌われたりとか、狭い世界に入っていると起こりやすいんだよね。これはさかなクンが言っていたことだけれど、「魚は海にいるときはいじめは起こらないのに、水槽にいれられた魚たちはいじめが発生する。狭い世界にいるといじめが発生する」らしい。(詳細)
嫌われる≠悪
嫌われることは悪いこと、という風潮がある。風潮というか、そんなの当たり前じゃないか、と思っているかもしれないね。でも、もしかしたら刷り込みかもしれない。まずは嫌う心理を考えてみよう。
もう答えから言うと、嫌いになるのは、主に人は現状維持バイアス(現状を変えることを嫌う)を持っているからなんだ。自分とは異質のものや、慣れないものに対して苦手だと感じ、嫌おうとする機能が元から備わっているのですね。

ということはだよ。これは極論になるけれど、嫌いという感情は抱く側の問題であって、あなたの問題ではないということが分かる。だから、自分のことを悪く言う人など、無視しておけばいい。
それよりも今自分のことを大事にしてくれている人と向き合っていくことに全力を出したほうがいいんじゃないの?
嫌われるのが怖くて挑戦できない、と塞ぎ込むんじゃなくて
もっと自分のことを知ってもらって、好いてくれる可能性のある者のところまで自身の存在を轟かせたほうがいいじゃないの?
そう思うわけだ。
みんなと同じ道⇨結果は平均
嫌われるのにも種類があって、礼儀や筋の通らないことが根にある嫌われ方は良くないかもしれないね。だけれど、価値観や考え方、もしくは存在そのものに対して嫌われることに関しては、歓迎していいくらいの気構えで良いと思うんだよね。それは異質な存在の証、少数派の証。

みんなと同じ道を選ぶ結果は平均だ。みんなそうしてるから、という理由で動くというのは、あなたがあなたとして生きる意味があるのかな。やっていることは鰯(いわし)の群れと一緒だからさ。 卒なく無難に生きることを目標にしてても楽しくないんじゃないかなぁ。
もし、平均から逸脱した人生の結果を望むのであれば、必然的に異質的存在になってしまう。一生NPC(ノンプレイヤーキャラクター)的に生きる人もいる。それが悪いわけではないけれど、やっぱり退屈だろう。
君は自分だけの人生を切り拓くのか、システムの一部として機能するだけか。
嫌われたら落ち込むのではなく、嫌われたら喜ぼう。
もしきみが、誰かに嫌われたとして、陰口を言われたとしよう。その時点で、まず陰口を言うような下らない、価値のない人間が、あなたは価値がないと言っているのだから、それは転じて価値があることではないか。

陰口してきた相手をよく見て。その人に評価されることが誇りになるのかをちょっと考えてみて欲しい。
あ、大したことなさそうだなと思えるでしょ?
それに、いじめっ子に好かれたら逆に嫌でしょ。
嫌われて落ち込むのは、あなたに自信がないのが原因
もうちょっと深く突っ込んでいこうか。嫌われて落ち込むのはね、本当は自分でも自身に価値がないことに気づいていて、それを直視しなければならないと思ったからなんじゃないかな。
自分に価値がないことを、見て見ぬ振りをしてきた。それを誰かが見抜いてしまった、そう思ってしまったのだろう?例えるなら、歯が痛いことにうすうす気づいているのに、歯医者に行かないようなものかな。歯医者を訪れたら、虫歯の烙印を押されるもんねぇ。ああ怖いね。

本当に自分のことを認めて価値があると思っている人はね、自分を貶めてくる人に対して、よく喋る雑草だなぁ程度にしか思ってない。
価値のあることを、自信がつくことを、自分にやってあげているか?
大事なことは、嫌われないことじゃなくて、嫌われてもへっちゃらな自分になること。何をしたって絶対に嫌われるんだから。
そのためには、普段から自分自身に自信が持てる活動、誇りが持てる動きをしてあげられているか?ということ。

無条件に自分を受け入れてみろと言う人もいるけれど、それが出来る人間はそもそも強い。普通、そんなに強くないので、自分を愛せる自分になれるよう努力しよう。(無条件に自分に価値を感じられる方法もあるんだけど、間違えるとイタイだけなので、それはある程度実力を備えてからのほうがいい。)
味気のない無難な人間関係は卒業しよう
味気のない無難な人間関係は嫌われないが、大きく好かれることもない。
見る目のある人にちゃんと好かれていたら、それだけで十分だ。