「やればできるんだから」と励ます親御さんがおりますが、この励まし方はおすすめしません。
「やればできる」が励ましに使えない理由
人は、言葉そのものをそのまま受取るのではなく、その言葉が持っている意味を暗示的に捉えます。なぜなら、意味を自分で見つけてしまったからです。
人は他人から直接的に提示されたものを、自分のものだと思えないので信じることはできませんが、自分で気づいてしまったことに関しては、信念レベルの深いところまで意味が届いてしまいます。(余談ですが、これは催眠術の基本でもあります。)
例えば、「昔、貧乏なときは~」と話を始めたら、相手は「今は貧乏じゃないんだな。お金持ってるんだな」と勝手に信じます。「人見知りでした」と言えば、「今は人見知りじゃないんだ」と勝手に思い込みます。
「やればできる」という言葉は、やったらできるという意味ではなく「今はあなたはできていない」ということを意味します。
子供からすれば、「今の自分自身を認めてもらえてない」という事実を受け取ることになります。つまり、励ましにはなってないので、「じゃあやってみよう!」という気には微塵にも思いません。
今の自分じゃいけないと思わせること、現状を否定させることは悪いことではありませんし、発展や成長のためには必要な一面もあります。ですが「やればできる」は、自信を持たせたり、励ましたりするために使う言葉ではありませんね。
「やればできる」を使ってしまう状況にある子供は、そもそも自信がないので、この言葉は使えない。やってできた子に対して「やればできるじゃん」と言うのは自信になりますが。
人は、暗示されているものを強く信じる
やってもできなかったどうしよう…
「やればできる」と言われた自信がない子供は、「やってもできなかったらどうしよう」と思い、挑戦することを怖れるようになります。
悲しい例ですが、これで本当にできなかった場合は「自分はどうせなにをやってもうまくいかない」ということを誤って確信してしまって、挑戦する前から諦める人間が完成してしまいます。
やってもできなかった自分を知覚するより、できるかもしれない自分のほうがマシなので、挑戦しないことで自分を守ろうとするんですね。
「やればできる」は挑戦できない人間にしてしまう。
人間はだれでも信念を持っていて、信念によって対人関係、仕事、思いやりなどの、あらゆる人生の実り具合を決めます。
どのような信念をどう作っていくかをマネージメントするのが、親や教育に携わる人間、導く側の役割ですね。
塁義塾生徒会では、生徒同士でお互いに導き合うことが理念ですから、塾生たちは今回のような内容を普段から実践しています。